(知事)
はい。私が指名したらおかしいか、ごめんなさい、失礼しました。
(幹事社)
朝日テレビさん。
(記者)
静岡朝日テレビです。よろしくお願いします。2009年の所信表明、昔の話になって恐縮なんですが、「毀誉褒貶にさらされ、失敗をし、挫折感に打ちひしがれても、それでもなお屈せず、堂々と誠実に、日本の理想を追求してまいります」と、知事はおっしゃいました。その言葉を噛み締めて、今回の辞め方、突然に、県政が混乱するような状況で、任期を残して辞められます。この辞め方は本当に良かったんでしょうか。
(知事)
その所信表明はですね、最後のあたりじゃないでしょうか。
(記者)
はい。
(知事)
主役は県民ですと言ったはずです。ですから、県民に仕えるのが私の仕事ですから、県民が世界の理想、日本の理想に向かってですね、羽ばたけるようにということで、一度もその理想の旗を降ろしたことはありません。そうした中でですね、どんなに毀誉褒貶、あるいは悪魔のような世界であるということでも、このマックス・ヴェーバーが『職業としての政治』で言ってる言葉なんですけども、それでもなおと言える人間だけがですね、この世界に生きるべきだと。私は、そのそれでもなお、英語で言えばnonethalessですね、neverthalessと。ドイツ語で言うとdennochでしょうけれども、それでもなお、ここは自分のためにやってるんじゃないというのがありましたのでね、その一番大きかったのは、やはり水です。水の問題これはですね、取り返しがつきません。丹那トンネルのときもありましたので。今回はもっと大きいと。しかも国立公園です。しかもユネスコエコパークです。しかも多くの人たちが、それによって生きてるわけですね。
これはですね、何としても守らなくちゃならないというのはですね、知事になってからですけれども、これは。その時の所信表明のときではなく、後に知ったこの南アルプスの現状、これはですね、知った以上、これを守らんといかんということで、粉骨砕身、全力を投じてきたつもりであります。そして、ここに至ってですね、ようやくJR東海さんが、事業計画が実際上、当初、国交大臣に提出してたものとも大きく変わっているということになったのでですね。ここは、これは期成同盟会の方も含めてですけれども、さあどうしたらいいかと、みんなで考えなくちゃいけないと。そのときに矢野さんが提案されたのが、信頼できる環境を作りなさいと。JR東海とそして、国と県が入ってですね。3者で話し合って、それで解決の道を探しましょうと言っていただいて、これは、これから10年以上ですね、やっていかなくちゃいけないと。そういう日程が見えて見えたわけですね。無限的にやるんじゃなくて、その明確に掘削20年(正しくは、「10年」。)とか、ガイドウェイに2年とかあるわけですが、その都度その都度、チェックするべきことがございます。これをやっていくという段取りが見えましたのでね。あとは、その方に任せていいんじゃないかと思った次第です。
(記者)
多くの人たちが、このリニアの問題、道筋が見えたという実感は持っていないと思うんですが、それでも任期を残して辞める、この辞め方はいいんでしょうか。
(知事)
そうですね、もう1つございましてね。県政の停滞というのがありますが、御案内のとおり、私の言動が、私の言動だけです。県民関係ないんですよ。素晴らしいんですよ。住んでよし、訪れてよし、のとこなんですね。そこにですね、私の言動のせいで、静岡県が、この厳しいこと言われるというのは、誠に辛いことです。したがって、これは、なるべく早く止めたいと。一生懸命やったつもりですけれども、なかなかそれはできませんで。しかしながらですね、それでもなお放り出すことができないわけですね。だから、これはやっぱり、リニアのことについて、いわゆるこの工事計画、当事者がですね、言ってらっしゃることですから、これに沿って、しっかりとモニタリングをしていけばいいという道筋が見えたということで、私はですね、皆様にお約束したことは、こういう形で、今これから進んでいきますよと。私は矢野さんを信じてますので、したがいまして、あとお任せできると、バトンタッチできると思いました。
(記者)
はい、ありがとうございます。
(幹事社)
一旦、幹事社で引き取らせていただきます。あの記者クラブで質問を取りまとめてるので、幹事社質問のみ、知事との一問一答でさせていただきます。
(知事)
はい。
(幹事社)
2つ目ですけれども、ええと、知事これまでリニア推進派として一貫として主張してきましたが、今でもリニア推進派であることは変わりはないのか教えていただきたいです。
(知事)
変わりありません。やはり1970年代からやってきてですね、これは日本の技術の、いわば、最先端といいますか、エキスが入ってるんですね。それにかけてですね、人生を終えたというか、後輩に引き継いでいった人たちがいらっしゃるわけです。私はその思いも知ってますし、推進派から一度も外れたことありません。ただ南アルプスとの両立をしなくちゃいけないと。これはやっぱり難しい課題です。しかも、これは2010年前後に突然に入ってきたルートですから(※1)、したがって十分な調査ができてないってことも、だんだん明らかになって、今、います。ですから、これからも2024年、34年ですか、かかるってことですから、したがってですね、推進には変わりありません。
※1 1990年に調査指示を受けて、木曽谷ルート、伊那谷ルート、南アルプスルートの3ルートの調査を鉄道・運輸機構と共同で実施し、2008年にいずれのルートにおいても適切な施工方法等を選択することにより、路線建設は可能とする調査結果を報告しており、2010年前後に突然入ってきたルートではない。
(幹事社)
ありがとうございます。3つ目の質問ですけども。
(知事)
はい。
(幹事社)
問題となった訓示での、あの発言がなければ、仮にモニタリング会議の矢野座長から、リニアの静岡工区の工期を伝えられた後も、辞意を固めることはなかったということでよろしいでしょうか。
(知事)
そうですね、それはちょっと正確ではありませんね。いろんな言動が世間をお騒がせしてることについてはですね、針のむしろのようなところでありますから、十分に自覚しております。しかし、それはですね、辞任の理由にはなりませんで、先ほど申しましたとおり、工事の日程というよりもですね、工事の日程がわかったのは、3月29日の矢野さんの質問ですね、それに対してJR東海さんが先ほど言ったような形で答えられた。お越しになったのはですね、これをどうしていくかってことについて、ハイレベルで考えていきたい、これに協力してくれるかってことだったわけです。私は協力しましょうと、そして、私が出るんですかって言ったらば、先ほど答えたとおりですね、ナンバー2でいいと。これはJR東海もナンバー2、そして国交省も、それに応じた方が出てこられて、三者で頻繁に会合を重ねて、この工期が十数年にかかる、10年以上かかるということで、これを1つ1つですね、どういうふうにして解決していくかということについて、話し合うということで。私は、君は最後に調印する時とか何かの時に出てきてくれればよろしいと。じゃあ、矢野さんその時まで頑張ってくださいって10年以上ですねといったら、ハハハということだったわけです。実際そういう話だったんですね。だから私はおまかせしますって言いまして、今、静岡朝日テレビさんにお話したような形で、ここで僕の手を離れたと。これが本当の、ここでやめていいというふうに思った理由です。
(幹事社)
ありがとうございます。では次の質問に移らせていただきます。今月3日に、知事は公務と称して、会見を切り上げて、鈴木修氏と面会していますが、政務ではなかったのでしょうか。仮に公務であれば、面会の趣旨と内容の説明をお願いします。また浜松へは公用車で行ったのか、別の交通手段を利用されたのか教えていただきたいです。
(知事)
私、公務と言った覚えは、全くありません。これはですね、3月23日に、フラワーパークのテープカットがあったわけです。そのテープカットのときに、御一緒したわけですね。その時、これから御飯食べないかということだったわけです、お昼御飯を。ところが、社会健康医学大学院大学の、いわゆる入学式といいますか、失礼しました、学位記授与式がございまして、ですから間に合いませんのでですね、今日は無理ですと、また日を改めましょうということになりまして4月のあれは何日でしたっけ。3日ですか、に、これは私1人でですね、新幹線で往復して、会いに行きました。これ公務ではありませんし、公務と言った覚えはありませんが、何か誤解を生むところがあったんでしょう。縣くんが説明できますか。こっち、こっち来てください。
(知事公室長)
おそらく、3日の会見の最後にですね、私共のところでお声をかけるときに、ちょっと公務という言葉を使ってしまったのではないかなと思っております。正しくは所用でございます。申し訳ございませんでした。
(知事)
すぐに行ったのではなくて、日程調整をしてから行きますので、こちらを離れるときには、最後は必ず日程調整しますから。この日程調整は言ってみれば、公の仕事ですから、それを念頭にあったかもしれませんね。はい。
(幹事社)
ありがとうございます。次の質問ですが、2日の囲み取材で、知事はメディアのハラスメント、発言の切り取り、ジャーナリズムの質の低下などの発言がありました。問題化したのは報道機関のせいだと受け取められる発言もありましたが、ごめんなさい、あり、こういう風潮が充満していることには憂いを持っているとして、辞職を表明されました。3日の会見では、発言とリニアが辞職の理由だとおっしゃっていて、2日の囲み取材での発言と、3日の会見での発言では整合性がとれないと思いますが、御説明をお願いします。
(知事)
2日の話は辞任との関係では因果関係はありません。先ほど申しましたように、辞任の理由は3日に述べた通りであります。辞任表明のときに述べた通りであります。それからですね、メディアの云々のことですけども、私はあの報道の自由というのを大切にしておりまして、ただし報道のあり方についてもですね、それぞれいろんな見方があると思いますが、報道の自由、言論の自由、学問の自由、これはですね、民主主義社会における不可欠なものですから、それはそれとして、私なりに思ってることも言って、不快に思われたかもしれませんけども、特段それと辞職のことは因果関係はありません。
(幹事社)
ありがとうございます。最後の質問ですが、2日の囲み取材では、報道の切り取りのせいで誤解を生まれる方がいると主張されていました。不十分な表現だったとして、後にその発言について撤回はされましたが、そう捉えられかねない発言という表現は一貫しているかと思います。あくまで、そう捉えられかねない発言を報道が切り取りしたため、良くない伝わり方をしたという認識でよろしいでしょうか。
(知事)
そうってなんですか。そう捉えられかねない、というのは、そうって何でしょうか。
(幹事社)
職業差別。
(知事)
そうなんです。職業差別と捉えられかねないと。職業差別というのはですね、悪なんですよ。差別してはいけないんです。人を弾劾することができる言葉です。そう言葉を使って、捉え、そう捉えられかねないとおっしゃってるので、そう捉えました。私は全部見ていただければわかるということで、静岡新聞が全部出してくださったのは、大変ありがたかったんですが、生業の違いはあると。区別と差別とは違うわけですね。それぞれ、ジャーナリストのお仕事、私の仕事、違います。どちらが上か下かっていうのはありません。職業に貴賎はないんですよ。
そういう意味で申し上げましたといっても、職業差別だということでですね、捉えられかねないというふうに報道されたんですけども、職業差別という言葉を使われた途端にですね、職業差別という言葉でざっと広がり、職業差別をする人間だと、特にですね、第一次産業に対する差別だという、そういう言論がばあっと広がりましたね。これは本意ではありません。しかも、驚いたことに農水大臣までがですね、強い憤りを感じられるというようなことで、本当に驚きました。なぜかというとですね、農水省とはですね、知事になる前から深いその関係がございまして、ここにちょっと調べてもらったんですが、21世紀になってから、これまだ知事になる前ですけれども2002年、農林水産政策研究所、農水省ですけれどもその作業をしています。2003年、都市と農山漁村の共生対流推進会議、通称オーライ!ニッポン会議、養老孟司先生が会長で私、副代表でした。長く務めました。2006年、家の光文化賞JAトップフォーラム2005において、全国各地のJA組合長らに対して、講演を行っております。女性会員を増やしなさい云々のことを言ってるわけです。それから2007年(正しくは、「2006年」)、食料の未来を描く戦略会議、これは当時の農水担当大臣からですね、農水大臣からですね直接頼まれたもので、そこの委員を務めておりました。さらにですね2007年、毎年のようにですけれども、ごはんを食べよう国民運動推進協議会、私、会長です。ですからですね、この水田を守ってらっしゃる方、これを励まそうというそれの会長をやっていたわけです。それからですね、2008年になりますと、子ども農山漁村交流プロジェクト全国推進協議会、これはもう子どもの、小学生がですね、農山漁村で、そういう農業に親しんで、そういう担い手になってほしいと、そういう運動の会長も務めていたわけです。それからまた、知事になりましてからは、第一次産業、これをですね、大事にしない文化は滅びますよということで一生懸命やってまいりました。ですからですね、やってきたことと、その職業差別、第一次産業に対して、何ていいますか、下に見下しているってのは全く違うことでですね、これはしたがって、職業差別と捉えられかねないという職業差別だっていう形で、その言葉を弾劾する悪の言葉、弾劾されるべき人を、対象ですね、その言葉で叩くことができる言葉が踊ったので、それで広まりましたね。そのことは、非常に残念に思ってます。捉えられかねないと書かれているのは知ってます。 |