令和3年度以前知事記者会見

2024年4月10日(水)


知事発表項目(紅麹を含む健康食品に係る健康被害)、幹事社質問(辞職願の経緯)
一般質問(知事辞職関連)
一般質問(知事辞職関連)
一般質問(知事辞職関連)
一般質問(リニア中央新幹線関連)
一般質問(リニア中央新幹線関連、逢初川土石流災害関連)

知事発表項目(紅麹を含む健康食品に係る健康被害)、幹事社質問(辞職願の経緯)

(知事)
本日のお花はガーベラですね。それと、スプレーデルフィニウムですね。スプレーデルフィニウムであります。
発表項目は一つであります。まず、小林製薬株式会社の紅麹を含む健康食品に係る健康被害の状況についてでありますが、大阪市が令和6年3月27日に回収を命じた小林製薬株式会社の紅麹を含む健康食品に係る健康被害につきまして、4月9日現在、県内では35名の方が確認されています。そのうち入院した方は7名です。県内では、死亡された方は確認されていません。回収命令の対象製品は、「紅麹コレステヘルプ」、「ナイシヘルプ+コレステロール」、「ナットウキナーゼさらさら粒ゴールド」でありまして、そのうち静岡県内に流通していた製品は、「紅麹コレステヘルプ」であります。現在、県および政令市の保健所におきまして、取り扱いのあった658店舗の販売状況を調査いたしまして、回収を指導しております。既に対象製品は店頭より撤去され、販売されていないことが確認されています。県民の皆様の中で、対象製品を購入された方は直ちに使用を中止してください。よろしくお願いします。また最近まで使用していた方は、無症状でも念のため医療機関を受診していただき、健康被害が確認された場合は、最寄りの保健所に連絡をしてください。
以上であります。
 
(幹事社)
ただいまの知事の発表について、質問のある社はお願いします。ではないようですので、幹事社から質問いたします。静岡第一テレビです。よろしくお願いします。本日10日に議長に対し、辞職願を出されましたが、その経緯について、改めて教えてください。
 
(知事)
はい。辞意表明をしたのが、4月の2日だったと思います。表明した以上、直ちに辞任するのが望ましい。いわゆる退職届を出すのが望ましいのでありますけれども、あまりに突然でありましたので、石川前知事さんの前例にならいまして、3月、確か下旬に辞任表明をされて、6月中旬の定例会で辞職を、何て言いますか、提案されたということでございましたが、それに倣ったわけですが、これはおそらく行政のプロでいらっしゃるので、候補者選定等のことを考えてのことではなかったかと思います。私の場合は、私なりの理由もございまして、なるべく早くという風に思っておりました。私の発言等によりまして、県民の皆様方に、大変な御迷惑がかかってるという自覚がございましたので、なるべくそれを早く止めたいと、したがっていわゆる県政の空白を短くするということで、本日代表者会議が開かれるという御連絡を賜りましたので、それに間に合うように、代表者会議は6月議会並びに知事選をにらんでの日程の調整ということでございましたので、それがあるということで、今日提出しました。以上です。
 
(幹事社)
ありがとうございます。ただいまの質問および知事の回答について、質問のある社はお願いします。ではNHKさん。
 
(記者)
NHKです。よろしくお願いします。あの知事、2日のぶら下がりの際に、あの準備があるので6月議会をもって辞職するというお話されてましたけれども、その際の準備というのはどういうものを指してたんでしょうか。
 
(知事)
知事が辞めますと、県政に空白が出ます。従いまして、知事立候補者、この選定に、私の場合は一等最初は1か月で、これは無謀とも言われたことでございました。しかし、そのときの知事さんは3か月ぐらい、取っておられたので、それが念頭にありました。
 
(記者)
わかりました。あと、今回の結局、早期に、それよりも早くやめるというふうになったのは、理由としては、県庁に3000件を超える意見があったりですとか、その中にその早期の辞職を求める声があったり、その自民党や公明党会派からの申し入れ等があったことを受けて、早期に辞める御決断をされたという理解でよかったですか。
 
(知事)
それは大きな原因の1つですけども、総合的で、最終的には、その理由の、原因の理由につきましては、前回の記者会見で申し上げた通りであります。背景にありますのは御案内の通り、辞職勧告決議を2年前に受けておりますので、既に退路を断っておりました。したがいまして、いつでも辞任する用意があったわけでございますけれども、私がやるべき仕事は、県民の皆様方に負託をしていただいております、リニアの問題についての道筋が皆様方にわかる形にならないといけないというふうに思っておりましたが、これがいわゆるモニタリング会議第1回におきまして、モニタリングと事業計画ってのは一体であるということを、座長が言われまして、その第2回目のモニタリング会議におきまして、3月29日のことですけれども、冒頭の座長の御質問、事業計画につきましてJR東海の方から、トンネル掘削に10年、ガイドウェイに2年、そして工事ヤードに3か月、それから先進ボーリング等調査に3か月から6か月というそういう数字が出ました。これは、その日のうちに私の知事室に報告が入りまして、これで決まったと思いました。
つまり、これから最低10年以上ですね、今日始めてもかかるということがわかったということで、それまで2027年以降ということしか、数字としては出てなかったんですけれども、これが大きくて、これで1つ目処が見えたなと、いうふうに思いました。
そして、矢野委員長(正しくは、「矢野座長」)、定期的に来られますので、その時に確かめる必要があったと思ったんですが、何とこの4月2日、予告なく午後すぐに電話があったそうで、午後3時45分から4時半お越しになられまして、その旨を私も確認いたしまして、ただし、お越しになった理由はですね、ハイレベルの会議を、JR東海、それから国、それから静岡県で開きたいと。
私が出るんですかって言いましたら、そうではないと。ハイレベルというのは、ナンバー2あたりだということで、それで私の方は、対策本部長である森副知事でいいでしょうかと、そのレベルなら結構ですと。
ただし今回、人事におきまして、南アルプス、リニア絡みでも対応できる、部長を定めましたと。それからもう1人、この部長級で理事として、南アルプスリニア担当の人を定めましたと。
この2人今いるかどうかわかりませんけれどもということで、連絡しました。ら2人とも居まして、渡邉部長さんと、それから鈴木利直理事さん。これを紹介いたしまして、この2人もつけてよろしいかと言いましたところ、それで結構ですと。
ですから、本部長の森くんと、それから渡邉くん、鈴木利直くんと、この3人でハイレベルの会議に出るということでいいってことで。それではあの、これ、こういう形で協力をさせてくださいと、彼はこの協力を求めてこられたわけです。
それで私は、協力をこういう形でさせていただくってことでいいかということで、それで全く問題ありませんということでしたので、あとはお任せしますと、いうことで、これで僕の役割は終わったというふうに本当に思いました。
つまりリニアについて矢野さんに任せることができると。
私は矢野さんに、これから少なくとも10年以上モニタリングの会長しなくちゃいけませんねというふうに言いましたら、そういうことですなあと言って頭を掻いておられました。そのときが実際、橋の上から飛び降りたときであります。
 
(記者)
そのリニアのひと区切りというお話なんですけれども、昨日、愛知県の大村知事が受け止めを聞かれて、早期の開業を目指す期成同盟会の会長としても、一区切りっていうのは違うんじゃないかっていう、批判のお声もありました。
一方、昨日のJA静岡中央会の会長も田保部長のところにいらっしゃいまして、リニアの発言、今回の発言ではなくて、リニアを一区切りにして辞めるっていうことに、すごく不愉快な感情を示していらっしゃいましたけれども、そこについてはいかがでしょうか。
 
(知事)
はい、リニアに関しましては、これを放り出すわけにいきませんので、どのような道筋が描けるのかというのは、本県にとっても、最重要の課題、もちろん日本全体にとっても、JR東海さんにとっても重要な問題であると思います。
それが今日始めても、掘削だけで10年かかるというわけですね。
今日始めてませんから、10年以上かかります。ですから、こういう数字が明確に出て、10年たてば2034年と、こうしたことがですね、新聞に踊りました。
一面に踊りました。それくらい大きな実は、いわば事実の公表だったわけです。
それにまた、時を置かずですね、甲府駅も、誰もが2027年にできると思っていたところ、2031年になるということで、4年遅れということも出てきまして。ようやくですね、事業の実態がですね、見えたと。それが何を意味してるかといいますと、国交大臣が認可した事業計画というのがあります。
この国交大臣が認可した事業計画というのは、2011年5月(正しくは、「2014年10月」)のことです。認可したのは。その前提になったのが、その1年前(正しくは、「4年前」)の2010年5月にJR東海さんが、国交大臣の諮問機関である中央新幹線小委員会というところに出されたもので、その事業計画(正しくは、「2010年5月の中央新幹線小委員会(第3回)でのJR東海の説明資料『超電導リニアによる中央新幹線の実現について』」)。これがですね、御案内の通り、この工期に関しましては、実験線の延伸完成、これが第1段階。そして、品川から名古屋までは2027年と。そしてそこで体力を溜めて、18年後の2045年に大阪まで開通と、これが計画だったわけですね。
これが事業計画の柱です。それが認められたわけです。その後、3兆円の財投がありましたので、体力がその分ついたということで、2045年が2037年、つまり8年前倒しになりました。これが事業計画の全てであります。この事業計画に対しまして、2027年以降になるということで、私は2037年までいきましたねと。(2037年)まで余裕ができましたねというふうに言いましたところ、澤田担当常務さんがですね、JRの。2027年以降と言ってるわけで、2027年の旗を下ろしていませんというふうに言われました。
そういう理解の中で、今回初めてですね、10年以上かかると。またあるいは、甲府駅については、4年遅れるとかということになりましたので、元々の事業計画が音を立てて崩れたというのが実態だと。これをどうしていくかということをこれからされるのが、モニタリング委員会(正しくは、「モニタリング会議」)で、モニタリングは工事の日程、事業計画と不可分であるというのが、矢野さんの意見でありますから、ここでやっていければいいということでございます。
 
(記者)
ならば早期開業の期成同盟会に入って、あの知事はこの2年弱早期開業に向けて、何をされたんでしょう。
 
(知事)
一生懸命我々は南アルプスのですね、この基本的な期成同盟会も含めた共通理解は、総会で決まるわけでございますけれども、南アルプスの自然の保全、それから水資源の保全と、それからリニアの開通と。この両立を図るということであります。ですから、それをですね、するためには南アルプスの自然が守れるか、水資源が確保できるのか。この点について、ずっとやってきたわけで、それについてもですね、情報共有ができるというのが、この期成同盟会のメリットであります。それをしてまいりました。
従って、どこにもですね、私どもは早期開通に対しまして、足を引っ張ってるというようなことをしたことは一度もありません。
 
(記者)
分かりました。あともう一点なんですけども、先ほどの午前中に知事が退職届を中沢議長に出される前に、あの知事室前で御心境を聞かれた際に、細川ガラシャさんのあの辞世の句を読まれましたけれども、どういう心境で、この辞世の句を述べられたんでしょうか。
 
(知事)
長く、15年ぐらい私、知事をやっているんですけども、今日はここでしか、一言も喋る予定がなかったんですが、懐かしい方がそこにいらしたのでですね。
思わず無視するのは、御無礼だと思いまして、とっさに出てきたわけですが。とっさに出てきたものであります。
 
(記者)
その際の心境ではなかったってことですか。
 
(知事)
いや素晴らしい辞世の句だと思います。ガラシャというのはキリスト者、カトリックですね。ですから、自殺するわけにいかないんですが、辱めを受けないために、死を決意されたわけですね。その死の決意のときにですね、泣き叫ぶわけでもなく、逃げるわけでもなく、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」というふうに謳われたのは感動的です。
それは昔から、行動規範としてですね、持ってるものであります。
 
(記者)
今改めて退職届を出されての心境を教えてください。
 
(知事)
そうですね、改めてって言われるとですね、懐かしい人がそこにいらっしゃるわけですけども。そうですね、最近こちらに来られた方もいらっしゃるし、ずっとこの15年間、私の動きをですね、直接お話をしたりして見てきた人もいらっしゃいます。
私にとりましてはですね、このリニアの問題は、非常に厳しい問題でした。やはり国家権力というか、政府、それから大企業ですね、これは営利企業とはいえ、公共性を持ってるってことで国家的事業と言っておりますけれども、一方、南アルプスは国立公園ですし、これを保全するのは国策です。ユネスコはエコパークですから、これを保全するのは、国際的な日本の責務だと思っております。ですからですね、こうした大義名分があり、地元の声もですね、体に受けながら戦うというのは、厳しいものがありました。言ってみれば孤軍奮闘というのは、実際みんなと一緒にやってるんですけども、孤軍奮闘、囲みを破って還る。還るときが来たかなあと。その後、御案内の通り、一百の里程 塁壁の間 吾が剣は既に折れ 吾が馬は斃ると。さあ、どこに骨をうずめるかと。そういう心境ですね。これは城山っていう有名な漢詩、七言絶句ですが、西郷隆盛のですね、心境を歌ったものです。
 
(記者)
ありがとうございました。



一般質問(知事辞職関連)

(知事)
はい。私が指名したらおかしいか、ごめんなさい、失礼しました。

 

(幹事社)

朝日テレビさん。

 

(記者)

静岡朝日テレビです。よろしくお願いします。2009年の所信表明、昔の話になって恐縮なんですが、「毀誉褒貶にさらされ、失敗をし、挫折感に打ちひしがれても、それでもなお屈せず、堂々と誠実に、日本の理想を追求してまいります」と、知事はおっしゃいました。その言葉を噛み締めて、今回の辞め方、突然に、県政が混乱するような状況で、任期を残して辞められます。この辞め方は本当に良かったんでしょうか。

 

(知事)

その所信表明はですね、最後のあたりじゃないでしょうか。

 

(記者)

はい。

 

(知事)

主役は県民ですと言ったはずです。ですから、県民に仕えるのが私の仕事ですから、県民が世界の理想、日本の理想に向かってですね、羽ばたけるようにということで、一度もその理想の旗を降ろしたことはありません。そうした中でですね、どんなに毀誉褒貶、あるいは悪魔のような世界であるということでも、このマックス・ヴェーバーが『職業としての政治』で言ってる言葉なんですけども、それでもなおと言える人間だけがですね、この世界に生きるべきだと。私は、そのそれでもなお、英語で言えばnonethalessですね、neverthalessと。ドイツ語で言うとdennochでしょうけれども、それでもなお、ここは自分のためにやってるんじゃないというのがありましたのでね、その一番大きかったのは、やはり水です。水の問題これはですね、取り返しがつきません。丹那トンネルのときもありましたので。今回はもっと大きいと。しかも国立公園です。しかもユネスコエコパークです。しかも多くの人たちが、それによって生きてるわけですね。

これはですね、何としても守らなくちゃならないというのはですね、知事になってからですけれども、これは。その時の所信表明のときではなく、後に知ったこの南アルプスの現状、これはですね、知った以上、これを守らんといかんということで、粉骨砕身、全力を投じてきたつもりであります。そして、ここに至ってですね、ようやくJR東海さんが、事業計画が実際上、当初、国交大臣に提出してたものとも大きく変わっているということになったのでですね。ここは、これは期成同盟会の方も含めてですけれども、さあどうしたらいいかと、みんなで考えなくちゃいけないと。そのときに矢野さんが提案されたのが、信頼できる環境を作りなさいと。JR東海とそして、国と県が入ってですね。3者で話し合って、それで解決の道を探しましょうと言っていただいて、これは、これから10年以上ですね、やっていかなくちゃいけないと。そういう日程が見えて見えたわけですね。無限的にやるんじゃなくて、その明確に掘削20年(正しくは、「10年」。)とか、ガイドウェイに2年とかあるわけですが、その都度その都度、チェックするべきことがございます。これをやっていくという段取りが見えましたのでね。あとは、その方に任せていいんじゃないかと思った次第です。

 

(記者)

多くの人たちが、このリニアの問題、道筋が見えたという実感は持っていないと思うんですが、それでも任期を残して辞める、この辞め方はいいんでしょうか。

 

(知事)

そうですね、もう1つございましてね。県政の停滞というのがありますが、御案内のとおり、私の言動が、私の言動だけです。県民関係ないんですよ。素晴らしいんですよ。住んでよし、訪れてよし、のとこなんですね。そこにですね、私の言動のせいで、静岡県が、この厳しいこと言われるというのは、誠に辛いことです。したがって、これは、なるべく早く止めたいと。一生懸命やったつもりですけれども、なかなかそれはできませんで。しかしながらですね、それでもなお放り出すことができないわけですね。だから、これはやっぱり、リニアのことについて、いわゆるこの工事計画、当事者がですね、言ってらっしゃることですから、これに沿って、しっかりとモニタリングをしていけばいいという道筋が見えたということで、私はですね、皆様にお約束したことは、こういう形で、今これから進んでいきますよと。私は矢野さんを信じてますので、したがいまして、あとお任せできると、バトンタッチできると思いました。

 

(記者)

はい、ありがとうございます。

 

(幹事社)

一旦、幹事社で引き取らせていただきます。あの記者クラブで質問を取りまとめてるので、幹事社質問のみ、知事との一問一答でさせていただきます。

 

(知事)

はい。

 

(幹事社)

2つ目ですけれども、ええと、知事これまでリニア推進派として一貫として主張してきましたが、今でもリニア推進派であることは変わりはないのか教えていただきたいです。

 

(知事)

変わりありません。やはり1970年代からやってきてですね、これは日本の技術の、いわば、最先端といいますか、エキスが入ってるんですね。それにかけてですね、人生を終えたというか、後輩に引き継いでいった人たちがいらっしゃるわけです。私はその思いも知ってますし、推進派から一度も外れたことありません。ただ南アルプスとの両立をしなくちゃいけないと。これはやっぱり難しい課題です。しかも、これは2010年前後に突然に入ってきたルートですから(※1)、したがって十分な調査ができてないってことも、だんだん明らかになって、今、います。ですから、これからも2024年、34年ですか、かかるってことですから、したがってですね、推進には変わりありません。

※1 1990年に調査指示を受けて、木曽谷ルート、伊那谷ルート、南アルプスルートの3ルートの調査を鉄道・運輸機構と共同で実施し、2008年にいずれのルートにおいても適切な施工方法等を選択することにより、路線建設は可能とする調査結果を報告しており、2010年前後に突然入ってきたルートではない。

  

(幹事社)

ありがとうございます。3つ目の質問ですけども。

 

(知事)

はい。

 

(幹事社)

問題となった訓示での、あの発言がなければ、仮にモニタリング会議の矢野座長から、リニアの静岡工区の工期を伝えられた後も、辞意を固めることはなかったということでよろしいでしょうか。

 

(知事)

そうですね、それはちょっと正確ではありませんね。いろんな言動が世間をお騒がせしてることについてはですね、針のむしろのようなところでありますから、十分に自覚しております。しかし、それはですね、辞任の理由にはなりませんで、先ほど申しましたとおり、工事の日程というよりもですね、工事の日程がわかったのは、3月29日の矢野さんの質問ですね、それに対してJR東海さんが先ほど言ったような形で答えられた。お越しになったのはですね、これをどうしていくかってことについて、ハイレベルで考えていきたい、これに協力してくれるかってことだったわけです。私は協力しましょうと、そして、私が出るんですかって言ったらば、先ほど答えたとおりですね、ナンバー2でいいと。これはJR東海もナンバー2、そして国交省も、それに応じた方が出てこられて、三者で頻繁に会合を重ねて、この工期が十数年にかかる、10年以上かかるということで、これを1つ1つですね、どういうふうにして解決していくかということについて、話し合うということで。私は、君は最後に調印する時とか何かの時に出てきてくれればよろしいと。じゃあ、矢野さんその時まで頑張ってくださいって10年以上ですねといったら、ハハハということだったわけです。実際そういう話だったんですね。だから私はおまかせしますって言いまして、今、静岡朝日テレビさんにお話したような形で、ここで僕の手を離れたと。これが本当の、ここでやめていいというふうに思った理由です。

 

(幹事社)

ありがとうございます。では次の質問に移らせていただきます。今月3日に、知事は公務と称して、会見を切り上げて、鈴木修氏と面会していますが、政務ではなかったのでしょうか。仮に公務であれば、面会の趣旨と内容の説明をお願いします。また浜松へは公用車で行ったのか、別の交通手段を利用されたのか教えていただきたいです。

 

(知事)

私、公務と言った覚えは、全くありません。これはですね、3月23日に、フラワーパークのテープカットがあったわけです。そのテープカットのときに、御一緒したわけですね。その時、これから御飯食べないかということだったわけです、お昼御飯を。ところが、社会健康医学大学院大学の、いわゆる入学式といいますか、失礼しました、学位記授与式がございまして、ですから間に合いませんのでですね、今日は無理ですと、また日を改めましょうということになりまして4月のあれは何日でしたっけ。3日ですか、に、これは私1人でですね、新幹線で往復して、会いに行きました。これ公務ではありませんし、公務と言った覚えはありませんが、何か誤解を生むところがあったんでしょう。縣くんが説明できますか。こっち、こっち来てください。

 

(知事公室長)

おそらく、3日の会見の最後にですね、私共のところでお声をかけるときに、ちょっと公務という言葉を使ってしまったのではないかなと思っております。正しくは所用でございます。申し訳ございませんでした。

 

(知事)

すぐに行ったのではなくて、日程調整をしてから行きますので、こちらを離れるときには、最後は必ず日程調整しますから。この日程調整は言ってみれば、公の仕事ですから、それを念頭にあったかもしれませんね。はい。

 

(幹事社)

ありがとうございます。次の質問ですが、2日の囲み取材で、知事はメディアのハラスメント、発言の切り取り、ジャーナリズムの質の低下などの発言がありました。問題化したのは報道機関のせいだと受け取められる発言もありましたが、ごめんなさい、あり、こういう風潮が充満していることには憂いを持っているとして、辞職を表明されました。3日の会見では、発言とリニアが辞職の理由だとおっしゃっていて、2日の囲み取材での発言と、3日の会見での発言では整合性がとれないと思いますが、御説明をお願いします。

 

(知事)

2日の話は辞任との関係では因果関係はありません。先ほど申しましたように、辞任の理由は3日に述べた通りであります。辞任表明のときに述べた通りであります。それからですね、メディアの云々のことですけども、私はあの報道の自由というのを大切にしておりまして、ただし報道のあり方についてもですね、それぞれいろんな見方があると思いますが、報道の自由、言論の自由、学問の自由、これはですね、民主主義社会における不可欠なものですから、それはそれとして、私なりに思ってることも言って、不快に思われたかもしれませんけども、特段それと辞職のことは因果関係はありません。

 

(幹事社)

ありがとうございます。最後の質問ですが、2日の囲み取材では、報道の切り取りのせいで誤解を生まれる方がいると主張されていました。不十分な表現だったとして、後にその発言について撤回はされましたが、そう捉えられかねない発言という表現は一貫しているかと思います。あくまで、そう捉えられかねない発言を報道が切り取りしたため、良くない伝わり方をしたという認識でよろしいでしょうか。

 

(知事)

そうってなんですか。そう捉えられかねない、というのは、そうって何でしょうか。

 

(幹事社)

職業差別。

 

(知事)

そうなんです。職業差別と捉えられかねないと。職業差別というのはですね、悪なんですよ。差別してはいけないんです。人を弾劾することができる言葉です。そう言葉を使って、捉え、そう捉えられかねないとおっしゃってるので、そう捉えました。私は全部見ていただければわかるということで、静岡新聞が全部出してくださったのは、大変ありがたかったんですが、生業の違いはあると。区別と差別とは違うわけですね。それぞれ、ジャーナリストのお仕事、私の仕事、違います。どちらが上か下かっていうのはありません。職業に貴賎はないんですよ。

そういう意味で申し上げましたといっても、職業差別だということでですね、捉えられかねないというふうに報道されたんですけども、職業差別という言葉を使われた途端にですね、職業差別という言葉でざっと広がり、職業差別をする人間だと、特にですね、第一次産業に対する差別だという、そういう言論がばあっと広がりましたね。これは本意ではありません。しかも、驚いたことに農水大臣までがですね、強い憤りを感じられるというようなことで、本当に驚きました。なぜかというとですね、農水省とはですね、知事になる前から深いその関係がございまして、ここにちょっと調べてもらったんですが、21世紀になってから、これまだ知事になる前ですけれども2002年、農林水産政策研究所、農水省ですけれどもその作業をしています。2003年、都市と農山漁村の共生対流推進会議、通称オーライ!ニッポン会議、養老孟司先生が会長で私、副代表でした。長く務めました。2006年、家の光文化賞JAトップフォーラム2005において、全国各地のJA組合長らに対して、講演を行っております。女性会員を増やしなさい云々のことを言ってるわけです。それから2007年(正しくは、「2006年」)、食料の未来を描く戦略会議、これは当時の農水担当大臣からですね、農水大臣からですね直接頼まれたもので、そこの委員を務めておりました。さらにですね2007年、毎年のようにですけれども、ごはんを食べよう国民運動推進協議会、私、会長です。ですからですね、この水田を守ってらっしゃる方、これを励まそうというそれの会長をやっていたわけです。それからですね、2008年になりますと、子ども農山漁村交流プロジェクト全国推進協議会、これはもう子どもの、小学生がですね、農山漁村で、そういう農業に親しんで、そういう担い手になってほしいと、そういう運動の会長も務めていたわけです。それからまた、知事になりましてからは、第一次産業、これをですね、大事にしない文化は滅びますよということで一生懸命やってまいりました。ですからですね、やってきたことと、その職業差別、第一次産業に対して、何ていいますか、下に見下しているってのは全く違うことでですね、これはしたがって、職業差別と捉えられかねないという職業差別だっていう形で、その言葉を弾劾する悪の言葉、弾劾されるべき人を、対象ですね、その言葉で叩くことができる言葉が踊ったので、それで広まりましたね。そのことは、非常に残念に思ってます。捉えられかねないと書かれているのは知ってます。




一般質問(知事辞職関連)

(幹事社)

はい、ありがとうございます。幹事社質問は以上になります。その他の質問のある社はお願いします。共同通信さん。

 

(記者)

共同通信です。よろしくお願いします。先日の静岡文芸大学での挨拶の件に関しまして、入学式以前からあちらの学長さんの方からは、こういう事態が起きているわけだし、そういう騒ぎの中心になってる人物であるわけだから、そちらからも入学式の出席は遠慮すべきではないかというような御提案というか、お話があった中で、知事、御出席されたと聞きました。そういった御自身の行動だったりその判断のもとになったものっていうのは何なんでしょうか。

 

(知事)

それは知りませんでした。今初めて聞きました。望まれないところに行きませんが、文芸大から、横山学長からですね、そういう話があったということは、今初めて知りました。

 

(記者)

はい、わかりました。

 

(幹事社)

他に。それじゃ静岡放送さん。

 

(記者)

SBS静岡放送と申します。リニア中央新幹線についての話ですが、先日JR東海から静岡工区以外でも遅れている部分があるという発表がありました。それについて知事はどう捉えていらっしゃいますか。

 

(知事)

これは繰り返しになりますけれども、元々、国交大臣が認可したJR東海の事業計画、これが根本的に事実がですね、この計画を裏切ってるというふうに捉えております。したがって、これぜひ2010年5月10日です。20回開かれたうちの3回目の国交省の交通政策審議会中央新幹線小委員会でのたった一社だけが、事業主体、営業主体として招かれまして、そこでどういうふうにしてリニアを作っていくかということの事業計画を述べられたわけです。それが3回目です。それから4回目から20回目まではですね、パブリックコメントも含めて、それのチェックをされてそれで最終的にその通りでやってくださいって言われたものなんですね。その事業計画が、実験線、これは山梨で走ってる実験線ですが、神奈川県に向けて、これの実験線の延伸完成これが第1、第2が、品川から名古屋まで2027年、そして体力を貯めて2027年以降に大阪までに完成させるという、これが事業計画です。今2027年以降に名古屋までの計画がですねできなくなっているとそれは長く、JR東海さん、金子当時の社長さん、また現在の澤田常務さん、この方たちがですね表に出られまして、全て静岡工区のためだけであると言われてました。しかし、今回、工区に関わる、静岡工区に関わる事業工程が出されたその直後に甲府ででもですね、遅れてるってことがわかったと。ですからこれは一事が万事で他のところもですね、どうなってるかってことを、関係者全員知らなくちゃいけないと。それによってですね、もし進めるならば、どういうふうにしたら、これが何て言いますか、公益に資するかと、これはですねひょっとするとペイが、例えば甲府と神奈川の間、これじゃペイしないということであれば、国家的プロジェクトなら、国が関与すると、どういう形でか、それはいろいろとありますけれども、そういうような根本的見直しの今、状況になったということがですね、この1週間でわかったわけですね。3月29日以降、それからその甲府での遅れということでわかったと。もうあの、事業計画が破綻したということです。当初のですね、当初の事業計画が破綻したと。

 

(記者)

みんなで考える必要があるというお話でしたが、一方でJR東海は、開業時期に直結するのは静岡工区というのは変わりないという話はしています。それについてはどう考えますか。

 

(知事)

言葉の使い方じゃないですか。開業時期っていうのは、われわれ知ってるのは元々2045年でした。それが2037年に前倒しされましたね。これも、私は先ほど期成同盟会の話しましたけど、そこで誓約書を書かされてるんです。2027年までの名古屋開通、これに賛成すること。2037年までの、2037年における大阪までの開業に賛成すること。だってこれ共通知識になってるわけですよ。それがですね、JR東海さん御自身の何て言いますか、表明によりまして、事実が明らかになって、本当にそうなんですかって静岡工区のためだけなんですかっていうような事態になってるんじゃないかと思います。

 

(幹事社)

ごめんなさい、各社質問あるので。他に、朝日さん。マイク後ろにお願いします。

 

(記者)

朝日新聞と申します。すいません、少しちょっと質問が変わってしまうんですけれども、知事は1期目に教育や行政、食と農の改革を挙げられて当選されまして、それからも、内陸フロンティア構想とかいろいろ掲げられていましたけれども、これまで御自身で、あの結果を出せた、成し遂げられたと思っているものがありましたらちょっと上げていただければと思います。

 

(知事)

これはですね、御自身でというのは、まず外さんといかんですね。これは1人でできません。360万、今350万強ですけれども、その人たちと一緒にやってきたことですね。この間嬉しかったのは、やはり世界文化遺産になったことじゃないでしょうか。最も悲しかったことは何かと言えば熱海土石流ですね。それはあります。誰か1人の責任っていうんじゃなくて、やっぱり反省するべきことがたくさんありますが。結果はですね、1つは去年、一所懸命コロナで苦しみました、皆。それを乗り越えなくちゃならない中でですね、東アジア文化都市というのが、それまでの9回の全てのデータを塗り替えるような、素晴らしい、この場の力を発揮していただいたというのは嬉しかったですね。

 

(記者)

はい、それでは逆にですね、先日、今年度の予算方針も出されていたわけですけれども、逆に道半ばだった、やり残したことと思われることは何でしょうか。

 

(知事)

理想郷というのはですね、ありえないんですよ。目標に掲げるだけです。なぜかというと生まれて死んでいきますから。会社も倒産したりですね、怪我したり、いろんなことがあります。ですからあり得ないんですけれども、その課題は常にあると。今も課題たくさんあります。しかしですね、それを共有しながら、チームでやっていこうという、そういうチームワーク、これ新しく4月から部長さんも変わりまして、前に開かれた会議においては、そこでですね、一緒にやっていこうという心合わせをやっておりますので、BCPですね、なかんずく危機管理ですね。私はこれから残務処理に入りますので、危機管理はですね、副知事さんも変わるので、これを最優先にして、いざというときにすぐに初動体制取れるように含めてですね、やっておりますが、他の課題につきましても、うまく救うとができるという、そういう人材を揃えたつもりでいます。

 

(幹事社)

ありがとうございます、ごめんなさい。

 

(記者)

1点だけ。それでも4期目、95万票超える票を取られてですね、託されたわけですけれども、こういった任期半ばでですね、辞職されるということで、何かあの県民へのメッセージというか、伝える言葉がありましたら。

 

(知事)

本当にありがとうございましたと言う以外ないですね。なんていいますか、皆人がいいですね。静岡県は、素晴らしいところです。文字どおり、住んでるよし、訪れてよし、産んでよし、老いてよしと、学んでよし、働いてよしということを堂々と言えるSDGsのモデル県と言えますよということでですね、世界クラスの地域資源・人材群もこの11年程でですね、156件ということで、これデータですから、本当に素晴らしいと思います。その方たちに僕が迷惑かけたっていうのはですね、もう誠にもってつらいことです。私が原因、私だけが原因だと思いますね。今回の発言等も含めてですけども。ですから、なるべく早くですね、私が去るのが、県民のためになると。そして私に対する批判がスピードオーバーしてですね、静岡県全体に広がっている、広がりかねないとかですね、いうような御批判をいただいておりますので、これはなるべく早くということで、しかも候補者がすぐ出てきたんですよね。立候補する人が。これ非常にありがたかったです。ですから、それも追い風になりまして、さらに自民党さんと公明党さん、なかんづく自民党の幹事長、増田さんですけれども、実にですね、紳士的でしたね。早期辞職するってことが望ましいということをですね、アドバイスしに来られました。私はそれは非常に清々しいアドバイスだということでですね、そういう紳士的なアドバイスには深く感じ入りまして、それも今回お応えすることができたということで喜んでいます。

 

(幹事社)

ありがとうございます。ごめんなさい、時間も限られてますので、なるべく各社1問ずつでお願いします。じゃあ読売さん。




一般質問(知事辞職関連)

(記者)

読売新聞です。議長に提出した辞職願なんですけれども、内容としてはどういった内容をお書きに。

 

(知事)

これはあの、前例に倣うということにいたしまして、石川前知事さんが議長さんに出されたものと同一同文でございます。

 

(記者)

内容としては。

 

(知事)

一身上の理由により、退職を願いあげます、というものであります。

 

(記者)

御自身でしたためられた。

 

(知事)

はい、もちろん。

 

(記者)

いつどこで。

 

(知事)

月曜日ですね、どういうふうになってますかとお聞きしまして、これでいいですか、前回はこうですということで、それに倣いました。手続きですから、瑕疵があってはならんということで、その方面のプロの方を踏襲するというふうにいたしました。

 

(記者)

冒頭の方で、その辞職勧告なども受けてですね、いつでも辞めるような覚悟でいらっしゃったというふうにおっしゃられてましたけれども、辞職願を書いたっていうのは、今回が初めてなんでしょうか。

 

(知事)

そうですね。やっぱり退路を断つと言ってもですね、これは1人、私1人のためだけじゃないわけですね。360万の生命を、財産を守ってるわけじゃないですか。あるいは、それを代表しなくちゃいかん場面がいくらでもあります。したがって、皆様方に約束したことは、4年1期だけ預かってるわけですね。この4年1期の間で一番大きい問題、たくさんありましたけども、大きなのは、リニアだと。もちろんコロナもございました。しかしなんといってもリニアは、中長期的にですねものすごく大きな影響を、将来に及ぼすということで、これの解決は現在の事業計画の根本的見直ししかないじゃないかとは思っておりましたけれども、そういうそうしたものがぱっと今、出てきたんですね。2月3月、これ矢野さんのおかげだと思ってますが。

 

(記者)

すいません、最後1問、知事選に向けてなんですけれども、先ほどおっしゃられたような話あると思うんですけども、元副知事の大村慎一さんが出馬意欲を示している他にですね、あの前浜松市長の鈴木康友さん、それから立憲民主党衆院議員の渡辺周さんなんかの名前も取り沙汰されていましてですね、あの知事もよく知っているようなお三方だと思うんですけれども、そのそれぞれについての印象というのは、知事いかがですか。

 

(知事)

これは、有権者なんですね。ぜひそれぞれの候補者の政策をよくお聞きいただいて、投票率が高まることをですね、私は期待したいと思います。

 

(幹事社)

ありがとうございます。他に、じゃあ静岡新聞社さん、マイク後ろにお願いします。




一般質問(リニア中央新幹線関連)

(記者)

すいません、静岡新聞と申します。リニア問題に関してお伺いします。知事に課せられたこのリニア問題についての課題はですね、先ほど知事がおっしゃったように、南アルプスの環境保全と水資源の方と、リニア事業の推進、これの両立だと思います。先ほど知事がおっしゃったようにですね、JR東海が事業計画を変更してですね、静岡工区の工事工程を、およそ10年と明らかにしたことが、どうこの環境問題の解決に資するのかが知事の説明を聞いてもよくわからなかったので、もう一度教えてもらえますか。

 

(知事)

そのためのモニタリングじゃないでしょうか。モニタリングをするのに事業計画と、これは一体でなくてはならないと。その事業計画はどういうものですかということを1回目のモニタリング会議で聞かれました。2回目の3月29日の会議で、先ほどの数字が明らかになったわけですね。ですから、これは環境問題を解決するためのモニタリングで、これは工事計画と一体であるということでですね、これが、これ以外に解決する方法がないということで、国もJR東海も本県も協力するということになっておりますので、これが解決する方法だということではないかと思います。

 

(記者)

これ矢野座長自身も認めてるんですけど、モニタリング会議の主な役割っていうのは工事が始まってから、もしくは工事が終わった後に、水とか環境の影響の状況をしっかり確認して対策を講じるってことがメインだと思うんですけども、そうするとモニタリング会議に任せるっておっしゃったっていうのは、もうその工事をするような環境がもう整っていると認識してるんでしょうか。

 

(知事)

まずやはりJR東海さんは、静岡県との絡みで言えばですね、約束されたことはなさらないといけないと。2018年6月に静岡市長と、当時の社長さんが結ばれた計画、失礼、協定がございます。これがですね、6年経ってもまだ実現されてないということで、これをまずですね、工事をするってことであれば、まず実現するというのが第一歩だと思いますね。そして、工事計画を知って、さあ、このモニタリング委員会がどういうように、これをマネージされていくかということがこれからの課題になると思います。

 

(記者)

ごめんなさい、最後です。知事はかねてから、部分開業ですね、特にその橋本と甲府間の部分開業の主張をよく述べられておりましたが、知事が、このリニア問題に向き合うにおいて、この部分開業を、JR東海に認めさせるということが、知事が目的だったんですか。

 

(知事)

いいえ。部分開業という言葉はですね、何か特殊な意味で使われてると思いますけれども、東京から名古屋も部分開業じゃないですか。

 

(記者)

ここで、今、私が言ってるのは、知事が特段おっしゃっていた、その橋本甲府間の開通の話です。

 

(知事)

これはJR東海が、この2010年5月に出された、この事業計画の中に書かれてることを申し上げてるわけです。実験線の延伸完成から間断なくと書かれていますので、実験線の完成を、あなたはどういうふうに取ります。どういう、実験線の完成っていうのは何ですか。

 

(記者)

現状、完成してるんじゃないでしょうか。現状、実験線は完成しているんじゃないでしょうか。

 

(知事)

実験線は、実験線でなくなることが、私は実験線の完成だと思いますが、それは営業線になることだと取りました。ですから、営業するためには今のように実験線で、実際は営業ではないでしょうか。お金取って乗せてるわけですね、人を。だけど元に戻ってくるからですね、それは駅を、2つの駅がなければ鉄道としての役割は果たせません。ですから、実験線が一番近い駅というのは、甲府駅と橋本駅ですから、これが結ばれれば、これは文字通り実験線が営業できるということになると。その事業計画(正しくは、「2010年5月の中央新幹線小委員会(第3回)でのJR東海の説明資料『超電導リニアによる中央新幹線の実現について』」)に基づいて申し上げているわけで、勝手に私が言ってるわけではありません。

 

(幹事社)

ごめんなさい。

 

(記者)

最後、ごめんなさい。次の知事にも、今おっしゃったような主張ですね、実験線の延長に、今、おっしゃったような主張もあの掲げてほしいと知事は思ってるんでしょうか。

 

(知事)

まず資料をですね、しっかり読まないといけません。JR東海の、このいわゆる2010年から11年にかけて、家田先生のもとで20回の会議が開かれています。この会議の資料をしっかり見て、どういう形で始まったのかということも含め、それから1970年代から始まってる期成同盟会がですね、そもそも一体何を良くしてこられたのかと。橋本駅なんてのは、元々考えられてなかったわけですから、東京・名古屋・大阪だけでしょ。それを通してやる代わりに駅を作れと言ったわけでしょう。これが期成同盟会ですね。それをOKされて、そして今度はですね、欲しいなら自分で作りなさいってことだったわけですけど、今度は期成同盟会は、それはJR東海が営業するんだからあんたが出しなさいと言われて、ものすごい運動されて、そしてものすごいお金をかかるこの駅の建設をですね、葛西さんの大英断で、全部JR東海が持つということになったわけでしょう。ですから、こういうですね、歴史があるわけです。これをしっかり、担当する人はですね、今ある皆様方のコメントだけではなくて、この歴史をしっかりする必要があると。知る必要があると。そこから出てくるのはおのずから、そうバラバラの意見にはならないだろうと思います。私は首長先生の中にもですね、本当にこういうことを知ってらっしゃるのかなあと、もちろん停まったらいいということで、そこのことをですね、強く言われる方はいますけども、全体を結ばないと、リニア中央新幹線は、実は交通政策審議会の最終報告はですね、名古屋で先行開業といって、これは本当はそれは機能を発揮できないという意味のことを書かれてるわけです。東京から大阪まで一挙に全部結ばれて、初めて、このリニア中央新幹線は、この機能性を発揮すると。そしてそのときには、新駅の可能性もあるとまで、そこで書かれてるんですね。その新駅の可能性は、家田さんが私に、これは空港新駅のことですと、ですから良かったですねとまで言われてるわけですね。こうした歴史をですね、われわれとしては、今までリニアと関係なかったわけですから、だから期成同盟会にも入ってなかったし、駅も作られないし、それは突然決まったからなんですね。だからほとんどの人知らないです。だから勉強しないといけないと。その辺ところうちはですね、今度は渡邉くんや、あるいは鈴木利直くんを含めてですね、今、森くんを中心にして、副本部長(正しくは、「中央新幹線対策本部本部長代理」)の石川くんがいまして、皆もすごい勉強してですね、それをマスターしながら、公益に資する仕事をしてくださっているということで、私、心配はしておりません。




一般質問(リニア中央新幹線関連、逢初川土石流災害関連)

(幹事社)

ありがとうございます。他にいらっしゃいますか。中日新聞さんお願いします。

 

(記者)

中日新聞です。知事先ほど、JRの計画、当初計画、根本的見直しの状況になった。とおっしゃいました。2日昼に知事と面会した、杉本牧之原市長は4日の会見で、面談の中で知事は、10年遅れたのは私の成果だ。自然環境を10年守り抜いた。費用対効果、採算性を考えたら、ルート変更をした方がいいのではと述べたことを明らかにしました。私の取材でも、県内外の首長に最近ルート変更のことを知事が持ちかけていると聞いております。知事は静岡工区に着工させないことでJR東海にルート変更をさせる、強いるということが目的化されていたのではないでしょうか。その文脈にのっとって考えると、知事が辞める理由として、リニア計画問題にひと区切りがついたということは理解できるのですが、いかがでしょうか。

 

(知事)

これはJR東海が、意思決定者ですから、それはもう十分に心得ておかなくてはいけません。すなわち、先ほど言った国交省に出した事業計画で、冒頭で明確に述べています。JR東海株式会社は民間会社であり、経営の自由と投資の自主性を貫徹する。国からは一銭も援助をいただかないと、こうした意味のことを明確に2回ぐらい言ってます。ですからですね、そこに対して口出しすることは、国ですらできないわけです。ましてや地方自治体ができますか。意見はですね、いろいろ皆持ってる人がいるでしょう。中にいらないって人もいるし、すぐやれって言う人もいるし、もうそれ様々でしょう。私もそれなりの意見を持ってますけれども、JR東海の主体性は、やっぱり尊重しなくちゃいけないという考えであります。

 

(記者)

杉本市長にルート変更を勧めたのは本当でしょうか。

 

(知事)

彼に勧めても、彼が決められるわけじゃないでしょう。

 

(記者)

知事は、ルート変更に持っていくために、静岡工区を着工させなかったそういう見方が今広がっていますが。

 

(知事)

それはもう全く邪推ですね。われわれは南アルプスの自然を守るために、有識者会議もお願いし、また47項目を専門会議(正しくは、「専門部会」)から出していただいて、それが両立できるかどうかをやってきてもらってるわけで、それを全体仕切っていたのは私ですから、解決するためにやってきたわけです。

 

(幹事社)

ありがとうございます。じゃあ静岡新聞社さん、後、お願いします。

 

(記者)

静岡新聞です。熱海の土石流の行政対応の件、最後まで申し訳ないですけども、お願いします。知事先ほど最も悲しかったことということで熱海の土石流を挙げられて、反省すべきことはたくさんあったとおっしゃいましたけれども、未だに土石流の件は、県をはじめとする当事者が、誰も法的責任を認めずに、遺族や被災者が苦しんでいる状況なんですが、県は先日、内部検証の結果も示されましたけれども、行政対応の失敗だということは認めていながら、法的責任は認めていないわけですね。これ、失敗だと言いながら、責任を認めないというのはどういうことなのか。そこの、わかりやすくちょっと説明してもらいたいなということと、あともう1点ですね、昨年7月3日、追悼式の後ですね、被災者遺族の方と知事、お会いされて真相究明を約束されていると思います。この真相究明の約束は果たされたのか、お聞かせください。事務方の答弁は結構ですので知事の言葉でお願いします。

 

(知事)

事務方と一体です。

 

(記者)

約束は果たされたんでしょうか、真相究明。

 

(知事)

事務方と一体で、できる限りのことをしております。してきました。

 

(記者)

その失敗、失敗ということは認めているわけですか、今、内部検証を踏まえて。

 

(知事)

内部検証は内部検証に書いてあるとおりです。

 

(記者)

失敗ということを認めているかということを確認したいんですけども。

 

(知事)

あなたのしつこいですね、同じ質問を、何回も何回も県庁の職員にして(※2)、場合によっては仕事に大きな支障が出るだけじゃなくてですね、御本人のダメージにも繋がったということを非常に憂いておりまして、誠実に対応し尽くしているというふうに私は思っております。

 

(記者)

失敗ということは認めないんですか。

 

(幹事社)

じゃあ、ごめんなさい、時間がないので、切らせていただきます。

 

(職員)

すいません、最後のですね、知事この後御予定がございますので、あと質問を最後にさせてください。よろしくお願いします。

 

(幹事社)

じゃあ、日経新聞さん、お願いします。

 

(記者)

日本経済新聞と申します。先日の発言撤回後の囲みの際に、リニア中央新幹線に関する、何かしらの本とか書きたいみたいなお話をされていたかと思うんですが、今回、首長を辞職された後に、今、出たようなルート変更に関する話や、2010年の頃に結構言っていた東海道新幹線静岡空港新駅のお話とか、いわゆる首長を離れ、一個人としてリニア新幹線に関して何かしら意見を発表したりとか、あるいは何かしらの委員として入られる、リニアに関して何か意思表示を、今後も続けるということはあるんでしょうか。

 

(知事)

今のところ全く考えておりません。矢野弘典氏に委ねるということを、矢野さんに言いまして、それを守りたいと思っております。

 

(記者)

そうすると、今後いち個人として発信する可能性もありうる。

 

(知事)

今のところ何も考えておりません。この件については、何かしようというふうにも考えておりません。矢野さんにお任せするというのが、今の私の立場です。

 

(記者)

わかりました。最後1点だけ、全然別件なんですが、今回の職業差別的なとも捉えられない発言の前にですね、いわゆる地域間差別に当たるような発言であったりですとか、性差に、性差を差別するような発言であったりですとかそういったものも県民から意見などが相次いだかと思うんですが、あちらに関してはまだ撤回はされていないかと思うんですが、これはもう撤回せずということなんですか。

 

(知事)

今まで通りです。

 

(記者)

じゃあ撤回せず。わかりました。ありがとうございます。

 

(職員)

これですみません、今日のですね、知事定例会見の方を終了とさせていただきたいと思います。

 

(知事)

どうもありがとうございました。ごめんください。

 

※2補足

知事が発言した

 

「あなたのしつこいですね、同じ質問を、何回も何回も県庁の職員にして場合によっては仕事に大きな支障が出るだけじゃなくてですね、御本人のダメージにも繋がったということを非常に憂いておりまして、誠実に対応し尽くしているというふうに私は思っております。」

 

のうち「同じ質問」の箇所については、当該記者がこれまで県職員に対し、逢初川土石流災害への県の行政対応等に関する質問を複数回にわたりしてきたとの趣旨で発言したものです。

 

当該記者からの

 

「県は先日内部検証の結果も示されましたけれども、行政対応の失敗を認めて

いながら法的責任を認めていない。これ、失敗だと言いながら、責任を認め

ないというのはどういうことなのか」

 

との質問は、この知事定例記者会見の場で初めて知事(県)にされたものでありましたので、補足します。